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義捐金、節電、祈ること。
いつもよりちょっぴり隣の人に親切にすること。
そのほかいろいろ、今自分にできることを皆様されていることと思います。
私は、エンジェルカードリーディングでお世話になったHAUMEAさんが、公的機関に原発はもういらないという意見をHPから送ったというブログ記事を読んで、「おお、これならできる」と思い、私も、私の住む自治体に原子力ではない電気供給方法を推進して欲しいという意見を送ってみました。
なぜなら、
「これを機に、さらに頑丈な原発を作れば、世界に誇れる」みたいな意見を述べているTV司会者がいたそうだから。
びっくりしました。
恐ろしいと思いました。
今回の地震だって津波だって、人間の想定を遥かに超えていたわけですよね。
その意見は自然をあなどっていると思います。
私の送った意見など微力にもならないのかもしれませんが、最近想うのです。
皆様、101匹目のサルの話知っていますよね?
ある地方のサルたちは、いもを海水で洗ったらうまいぞ、という発見をします。
その地方のサルはみんな真似をして同じことをします。
ある一定の数を超えたら、まったく別の遠く離れたところにいるサルたちも海水でいもを洗い始めたという話。
私たちも、光の方へ意識を向ける人がある一定数を超えると、爆発的にそのエネルギーは増幅します。
もし私が、その101匹目だったら?
そう思うと、微力に感じても、やらないではいられない気持ちになります。
そして、30万人の光の力は、60億の闇に勝てるそうです。
勇気がでますね。^^
HAUMEAさんの記事

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「人は信じたものにしか、救われ得ない」
江國香織のエッセイに出てきた言葉が、ポンと飛び込んできました。
こう読んでしまうと、あまりに当たり前のことなのだけれど。
だけど、どれだけ本当に信じていることを自分の中に取り入れているだろうかと考えると、この言葉が重みを増してきます。
そして、それぞれの人が、それぞれに信じたものが真実であり、それぞれの現実なのだなあとつくづく思います。


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「あとどれくらい偶像を探せば、自分が自分の捜し求めているものだったと気づくのだろう」
ダン・フォーゲルバーグ


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以前から、自分の内側からずっと来ていた「自然に、自然に」という言葉。
その意味の深さが腑に落ちてきました。
自然に近いもの食するということでもあり、自然に還るという意味でもあり。
ナチュラル=自然体でいる(自分らしくいる)という意味でもあり、ありのままの自分をすべて受けいれてそのままでいるということでもあり。
自然と仲良く、自然と共存するという意味でもあり。
あらゆる意味で生も、病も死も自然に受け入れて今を生きるということでもある。
以前瞑想をしているときに、なぜか犬が横たわっているイメージが浮かんできました。
なんだろうとエネルギーを読んでみると、どうも病気で死が間近なよう。
でも、犬は淡々とその事実を受け入れているように見えました。
人間以外の生き物は、生や病、怪我、死をくどくどと考えずに、自然のこととして受け入れている。(もちろん、本能的な恐怖を感じますが)
起きてくることのすべて、今ある自分と自分を取り巻くすべてのことを、あるがままに受け入れたとき、リラックスして、ナチュラルでシンプルに生きることができるのではないだろうかということ。
昔々、知っていたような気がするそういう生き方を、忘れてしまったなあ。
忘れてしまったよ。
とそばにいたモンステラに話しかけると、
「大丈夫。思い出せるよ」
と言ってくれたような気がしました。


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先日目に付いた、ワーズワースの言葉です。
一個人の最良の財産というのは、その個人の情愛と優しさに満ちた、忘れさられてしまうような、ささやかな行動のひとつひとつである。


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