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先日書いたように、1月後半にとてもショッキングな大浄化が起きたわけですが。
こんなことは、ドラマの中でしか起きない、自分の人生には絶対関わってこないであろうと、想像もしなかった出来事だったわけです。
まあ、ある意味、私の病気だってそうだといえばそうですが。
でも、どこかでこの病気だけは嫌だ、この病気だけにはなりたくないと強く思っていたので、検査には行きたくなかったし、病気がわかったときどこか「やっぱり」と思ったし、想像はしたわけです。
でも、今回のことは本当に想像したこともなかった。
このことが起きたとき、最初笑いました。あまりのことに。
もしうちの家族のことをドラマにしようとして、登場人物の設定を書き出したとしたら、「盛り込みすぎ」でボツになってしまうくらい、いろいろなことが各自にありすぎなわけです。まあ、昼メロならいけるかな(笑)
もしくは、タイの連続ドラマ。(笑)
点滴の抗がん剤に切り替わることが決まった私も、そんなことぶっとんじゃった。
点滴の抗がん剤はある意味私の人生最大の出来事だったのですが、さらに上を行く出来事だった。そんなことが存在するなんて、思ってもみませんでした。
今回ばかりは、ほんと、人生明日は何が起きるかわからないんだなあとつくづく思いました。
自分の頭で考えることの範囲をはるかに超えているから、準備することもできない。
今この瞬間に、何も起きていないこと、いつも通りに過ごせることって、本当に本当に奇跡なんですね。
そう思ったとき、急に今までの自分の人生と思っていた人生のリアリティが無くなって、なんというか、人生ってロールプレイングゲームだなとつくづく思ったのです。
次になにが展開されるか、まったくわからない。
選択によって先の展開も違う。
でも最後、電源をOFFしたら、みんな、この自分自身に戻るわけです。
ちゃんとこの魂に戻るわけです。
そして多分、今までも何度もそうしてきたわけです。
そして、次のゲームは、あそこでこういう選択をしてみよう、などと計画して再び生まれてゲームを開始するわけです。
常にそう思っていれば、何が起きても深刻になることなく、右往左往して振り回されることなく、人生を楽しめるなあ。
何か起きても、おっ!今度はこういう展開かあ。よ~し、じゃあ、どうするかなあ・・・。
こうしてみるか!
と、ゲームのように楽しむ。
どんな展開になったって、スイッチオフすれば自分自身に戻れて、すべては幻だったことに気付くのですから。
そして、お友達のMちゃんと話していて、「おお。そうかもね~」と気付いたことは、
この人生ゲームをうまく展開させるコツは、ユーモアなのではないかということ。
深刻になったり、結果に執着したりしていると視野が狭くなって、選択に幅がみつけられない。
でも、ユーモア心を持って楽しんでいる人ほど、多分臨機応変に軽やかに、広い視野を持って変化に応じていけるし、選択の幅に気付くことができる。
A~Cまでの選択肢が、A~Hまでとかに増える。
そうすると、さらに深くおもしろい展開になっていく。裏ワザみたいなもんですかね。
そんな気がします。
私はつい深刻になってしまう傾向があるので、この「人生ってゲームなんだな」ということをなるべく忘れずにいたいと思います。
感情に引っ張られて、その出来事にどっぷり浸かっていると忘れてしまいがちです。
気をつけよっと。
何度でもやり直しのきく、この人生ゲームを楽しもうっと。
(人生一度きり、やり直しはきかない、失敗は許されないという幻想が苦しみを生み出す気がします)
そしてどの回の人生ゲームも、どんな展開だったとしても、終えて自分に戻ってみれば、きっとかけがえのない、素晴らしい、美しいものなのでしょうね。
そう思うとワクワクしてきます。^^


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