宇宙(そら)からの贈り物

人生が癒され幸せになりました。その体験を通して、いただいた気づきや叡智を分かち合い、幸せへの道を分かち合います。

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※ これは4年前の記録です。

きよみちゃんとの電話を切るなり、すぐに光のセッションが始まりました。
そして、そのおびえた自分の姿を見たら、ショックで号泣してしまいました。

こんなにおびえていたなんて。
なんてかわいそうなことをしてしまったんだろう。

私はすぐに瞑想に入りました。


おびえた私は、耳をふさぎ、頭を抱えて床にひれ伏して泣いていました。
「死ぬんだ。死ぬんだ」と言いながら。

私が、「ごめんね。大丈夫だよ。死なないから」と言っても、まったく耳を傾けず、
「死ぬんだ。死ぬんだ」と絶望し、泣きわめいています。
これ以上もう何も聞きたくない、といわんばかりに、しっかり耳をふさいで。

何度も何度も、大丈夫だよと声をかけたのですが、まったく聞きません。
その姿に愕然とし、ものすごくショックでした。

受け入れてくれない。
まったく受け入れてくれず、むしろ、死ぬということを一生懸命受け入れようとしているようです。


何度も何度も「ごめんね、大丈夫だよ。死なないからね」と背中をさすって、やっと何度目かに、うずくまっている私がこういいました。


「だって、死ぬっていったじゃない!」


これにはもう、絶句しました。ものすごくショックだった。

「N・Y先生に言われたじゃない」とか、「N・Y先生が言ったじゃない」ではなく、
明らかに、「私が、私に死ぬと言った」といっているのです。

先生が言うことを鵜呑みにしてしまったこと=私が自分で、「死ぬ」ということを受け入れた=自分で自分に「死ぬ」といった、ということなのです。

そして、どんなことでも、自分は自分の言っていることに従うものなのだ、ということも実感しました。


自分が自分に「死ぬ」という。
望んでいなくても、潜在意識に「死ぬ」という情報を与えることによって、その通りに進んでいくのだと、とてもリアルに、はっきりとわかったのです。


例えば、がんの患者が、お医者さんに余命のようなことを言われたとします。
それを「どうしよう。死ぬんだって!」とか、「・・・どうやら死ぬらしい」などと、思ってしまうだけで、それは自分に死ぬと言ってしまうことになり、そのままいくと、やはり亡くなる率は非常に高いのだと思うのです。

末期といわれても、死ぬということを受け入れなかった人は(現実をみないという意味ではありません。本気で、「いや、まだいけるんじゃないか?」と思って何か行動を起こしたり、末期だなんて誰がきめた、と腹を立てて、絶対に元気になってやる、とはりきる人)は治っているケースが多い気がします。


もちろん寿命は決まっているからなんともいえないけれど、もし命がまだ残っているのなら、生死を分けるのは、「死」を鵜呑みにするかしないかにかかってくるのではないか、と、このとき痛切に思ったのでした。

それはまた、「あきらめる」か「あきらめない」か、ということにも繋がってくると思います。

なぜかあっさりと「死ぬ」ということを受け入れてしまう、というか、抵抗できない感じを持つ人の場合、魂が肉体を脱ぐことを決めている、つまり寿命がきているのかもしれない、と思います。


まあ、なんにせよ、死ぬといわれて「はい、そうですか」と受け入れる人はいないと思います。

問題は、潜在意識の中に「私は死ぬのだ」と埋め込まれてしまっていること。

本当に本当に、なんとかして生きたいのであれば、まず、人の言ったネガティブなことを、すぐに鵜呑みにしないことが大事なのだと思います。できれば、それが真実なのかそうでないのか、感じられれば良いのですが。

それでも生死に関わってくるような話では、自分でそれが真実なのか判断するのは難しいと思うので、とにかく自分と向き合って、ちゃんと話し合い、内側の自分と外側の自分で協力して、この命を守ろう、生命力を復活させよう、そのためにはどうするか、を、よ~く話し合って決めることがとても重要になると、私は今心から思います。


また、一度がんになると、再発の恐怖におびえる人は少なくないと思います。

これも、一般的に、がんになって再発したら助かる可能性が少ない。だから、再発したら最後だ、みたいなことを繰り返し自分に言ってしまっているからだと思うのです。(実際は、何度も再発したり、別のがんができても、元気になっている人はたくさんいるのですが)

また、以前がんは遺伝?ということについて書きましたが、親御さんや祖父母、親戚ががんで亡くなっている場合、潜在意識のどこかにやはり、「がんになったら死ぬ」という意識が埋め込まれてしまうことが多いのではないでしょうか。


この潜在意識が超ポイント。

これを変えれば、生き残れる、とまではいいませんが、元気になれる率も高くなるのではないかと思うのです。(実際、イメージ療法などが効果を表すことも実験で明らかになっていますし、サイモントン療法という有名な心理療法もあります)

だから、一般に言われていることや、人の言うことを鵜呑みにせず、自分がどう思っているかにちゃんと向き合い、唯一無二の自分と協力しあって、怖れをなくすことが、寿命で死ぬにしても、まだ残っている命を無駄にしないためにも、大事なのだと思います。


かくいう私も、N・Y先生に言われてから、一度は落ち込んだものの、「このまま落ち込んでいたら、本当に死んでしまうかもしれない。とにかく生きるんだ!生きるんだ!死んでたまるか!」と決意を新たにしたつもりでした。

でも、実際にはこんなにおびえて、「私は死ぬんだ」と泣いていた。
何度もいいますが、本当にショックでした。


何度も何度も、大丈夫だよ。死なないよ。絶対に死んだりしないから、と泣いている私に言い聞かせ続けて、やっと「本当?本当に死なないの?」と聞く耳を持ってくれました。

それから、2.3日はおびえた感じは残っていたのですが、ともかく統合したのでした。


それと、話は少しそれますが。

人によりけりかもしれませんが、私の場合、「頑張る」ということがどうもダメだということが、ますますはっきりしてきました。

パートナーにも、「あなたが頑張る、といっているときは、たいてい間違った方向に行こうとしているときだということが、今までの付き合いで本当にわかってきた」といわれたのですが。

頑張る、というのは、本来の自分の意思や、願望とは違う方向にいっている(すべきとかいうことで)ために、りきんでいる状態。
意思や願望通りならば、ワクワクドキドキや、テンションが上がることはあっても、肩に力が入ることはない気がします。

そして、頑張る=がんが張る。という図式が私の中でできあがったのでした。
(実際がんの患者さんは頑張り屋さんが多いです。グチも言わず、家族にもなるべく迷惑をかけず、じっと抗がん剤の辛さに耐えるとか)


このときの私は、恐怖のあまりどうにもできませんでしたし、病気の最中に心の底から、「のんびりのほほんと生きよう」と思うことは、とても難しいとは思います。

それでも、今から思うと、「生きよう!」と、鼻息を荒くして頑張るより、ワクワクすることや心穏やかになる瞑想などをして、自分を抱きしめてあげた方がよっぽど効果的だったのかもしれないと思います。


この日の夜、和さんに電話をして、「N・Y先生には、和さんの方から電話してもらえますか。私は手紙を書きます」と伝えました。






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テーマ:癒し・ヒーリング - ジャンル:心と身体
    posted at 12:36 | 体験記 | TB(0) | CM(0)

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まゆりん

Author:まゆりん
乳がんになり、代替療法を選択したことからさまざまなヒーリングを体験。その結果、人生が癒され幸せになりました。その体験を通して、いただいた気づきや叡智を分かち合い、幸せへの道を分かち合います。

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