7月にうちのハラウ(教室)の発表会があったので、観に行きました。
やっぱり観ると踊りたくなる!!
私は、自分のハラウのダンサーさんたち、インストラクターさんたちの踊りが大好きです。
とても優雅で女性らしい。いつもうっとりします。
昨年後半は、ハマリまくっていて、毎週ではないですが多い日は週に3日くらいカヒコ(古典フラ)、タヒチ、アウアナ(現代フラ)と行っていました。
今から考えれば、確かに無謀極まりない。^^;
バランス、悪かったですね~。
だから、無理しないように、月に3日のアウアナだけでも復活しようかしら・・・。
アウアナなら、ベーシックもカヒコほどきつくないし・・・。
と思い、復帰のタイミングを見計らっていました。
そんなある日、インターネットで偶然うちのハラウの2チャンネルを目にすることに。
クムであるサンディさんは、芸能人なので、いろいろ言われるのも仕方ないかもしれない。
ひどい誹謗中傷の嵐でした。
そして、恐ろしいことに内部の人が書いているものもあります。
別に私は、2チャンネルに書かれてあることを間に受けるつもりはもちろんありません。
でも、復活しようとして盛り上がっていたテンションが下がったのは事実。
これはいったいなんだろう??
なぜ、今まで一度も2チャンネルなんかに行き当たったことはなかったのに、なぜこのタイミングで見ることになったのだろう?
やっぱり、どう考えても復活にストップがかかったとしか思えない。
12月にギックリ腰をして、完全にストップがかかって休学して、復活しようとしてまたストップがかかる。2度もストップがかかってしまった。
肉体的な面で、疲労しないようにストップがかかったのかな?
やっぱりまだ無理なのかしら・・・。
私の中から聞こえてくる声は、
「フラをやることが問題なのではない。なぜ、フラを踊りたいのか、もう一度軸をしっかりさせなさい」というものでした。
以前のようにフラを始めたらまたハマってしまって、自分を見失うことがないように、ちゃんと地に足をつけて、芯をしっかり保つ必要があるのだと思いました。
そこで、なぜ私はフラを踊りたいのか、なぜうちのハラウにいると、私は自分を見失ってしまうのか、じっくり考えました。(サンディさんのハラウが悪いわけではなく、これは私の問題なので誤解しないでくださいね^^)
私はなぜフラを踊りたいのか。
その始まりはなんだったか。
以前も書いたことがあったと思いますが、4年前にハワイのデトックスツアーに参加させてもらったときのこと。
小田まゆみさんのアレンジで、ケアラ・チンさんというハワイの伝統を伝える活動をしている人にクレンジングをお願いしており、キラウエア火山の火口で、ケアラ先生がたたく太鼓とチャンティングに合わせて、小田まゆみさんと他の数人でペレに捧げる踊りを踊ったのを見て衝撃を受け、もう、どうにもならないくらい踊りたくなってしまったのでした。
自然の中で、誰かに見せるためではなく、神様に捧げるためだけに踊っている。
神と繋がるための手段であって、神と自分との交流の手段であって、人にみてもらうために踊っているのではない。
そのことに、強く惹かれたことを、今一度思い出しました。
(以前にも書きましたが、私にとっての神は、ある特定の神様というより、自然や宇宙という意味合いが強いです)
自然の中で踊りたい。
自然の神に祈りを捧げるために踊りたい。
これが私のフラを踊りたい根本の気持ちでした。
当時は、ケアラ先生がまだ正式なクムフラではなく、日本のハラウもなかったので、どこがいいか探していたときに、TVでサンディ先生とそのハラウを見て、ここにしよう!と思ったのでした。
それから、以前ゴスペルをやっていたのですが、それも、もともとはハワイアンチャントが習いたくて探したけれど、当時教えてくれるところを見つけることができなかったので、ではゴスペルをやろうと思ったことも思い出しました。
神と繋がって声を出したかったのです。
私のいるハラウは、サンディ先生がエンターティナーであることもあり、とても華やかで、言って見れば芸能界のようなものかもしれません。
私は昔芝居をやっていたこともあるし、かわいくてきれいな女の人が大好きなので、惹かれてしまう。
そしてその世界にいることは、言って見れば、私が芝居をやっていたときと同じ感覚になるのだと思いました。
芝居をやっているときは、とても楽しかったし、充実していた。
でも、今から振り返ると、とても無理をしていた。
自分ではないものになろうとしてがんばっていた。
私らしくはなかった気がします。
そして、芝居もフラも、基本的には「観る人が少しでも元気になってくれたら嬉しい」という動機から始まったものでしたが、認めてもらいたいとか、私を見て欲しいとか、褒められたい、評価されたいといったエゴがあるのも事実でした。
観る人が少しでも元気になってくれたら・・・というのも、言い換えればポジティブなエゴですよね。
つまり、ついエゴが強く働いてしまう。
私の魂は慎重で、過去世で何度もエゴで失敗しているから、そちらに行くなと警告してくれているのだと思いました。
いくら芯がぶれないようにしっかりしてようと思っても、中にいればそれは非常に難しい。
私ではない、素敵なインストラクターの誰かになりたかったり、気がつくと他人と比べていたりしてしまう。
私はやはりチャンティングをしながら、古典フラを自然の中で踊りたい。
ケアラ先生も昨年クムフラの称号をいただき、練馬と横浜にも日本校があります。
ケアラ先生は、「フラは自然の中で踊るものだ」という主義だそうで、それに基づいてなるべく自然の中で踊るイベントなどもたくさんしています。
ご縁で最初にケアラ先生に出会ったことだし、自然の中で踊ることを大切にしていることから、ケアラ先生のスタジオに移ろうかしらと改めて考えました。(以前練馬のスタジオには体験レッスンに行ったことがあるのですが、当時はまだサンディ先生のハラウを吹っ切れていなかったのでハラウを変わることはやめたのです)
でも、古典フラは、ベーシックがとてもキツイ。
ハワイのあるクムは、そのキツさのために35歳以上の人にはカヒコは教えられないというそうです。
大丈夫だろうか?
そう思っていたところ、テレビをつけたら古典フラを踊っているシーンが出てきたり。
レストランでそんな話を姉としているときに、後ろの席でハワイやフラの話をしている人がいたり。
今西さんが翻訳している最中の本を読んでいたところ、ちょうど「神との親交」という項目が出てきて、祈り、瞑想、チャンティング、歌、ダンス、ドラミングはすべて、限界を解放する素晴らしい方法であり、神とのダイナミックな親交に入ることができる、というような内容のことが出てきたり。
いくつかの偶然の一致をみて、その方向で間違いないよというメッセージだと受け取りました。
その後前回書いたようにきよみちゃんやしゅんすけ君のメッセージをもらいました。
「心と体と精神のバランスをとりなさい。心だけでなく、体の声も聞いていたわりなさい。心と体と精神の3つがワクワクすることをしているとき、生命力が湧き上がってくる」と。
そしてある日、瞑想の後に、「すべての事柄は、結局神と自分との間のことであって、他の人との間のことではない」と思い、この方向性で間違いないのだと思いました。
(マザーテレサがそういうことを言っており、それをしみじみ思いました)
まだ、フラを始めるタイミングは熟考中ですが、すべての事柄において、この芯を忘れないようにしたいと思います。


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