宇宙(そら)からの贈り物

人生が癒され幸せになりました。その体験を通して、いただいた気づきや叡智を分かち合い、幸せへの道を分かち合います。

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真砂さんとyaeさんのライブを観た翌日の朝。

なんだかしみじみと思いました。

あの二人は本当に自然体で、そこには利己的なものは何もなく、それぞれが大好きなツールを通じて自然からいただいたものを表現していた。

私はそういうことに強く惹かれる。

例えばフラを、神との繋がりを体験するツールとして、それだけでいいのならば別にどこで踊っていてもいいわけで。自宅で一人で踊っていてもいいわけで。

でも、それは何か違う。
共に同じものを表現する人がいて、それを観て何かを感じる人がいて。

それでないと面白くない。


最近、フラスタジオを探すために体験レッスンを受けたりしたおかげで、自分の望みが明確になってきていました。
体力がついたら、カヒコはもちろんですが、タヒチアンもやりたい。
なぜなら、私は太鼓のビートに血が騒ぎ、これが私にとって生命力の根源のような気がするから。


それから、スタジオで踊るのももちろん楽しいけれど、イベントに参加できたら、それも楽しそう。
自然の中だったり、ハワイフェスなどでもいいし、老人ホームとか施設とかでみんなでフラを踊るのも、これまた楽しそう。

そんなことを思ったりしたのです。

でもそれは、誰かに観てもらいたいという私の利己性なのではないか?

と、ずっと考えてきました。

大好きなフラが利己的にならないように注意しなければと。


たまたまその近辺に、以前主人が撮っていたビデオ「美の巨匠たち」を観ました。

そこに出てくる画家(マチスやドラクロアなど)や建築家の巨匠たちの最後の仕事が教会で、特に敬虔な信者でもないのですが、彼らは依頼を受けて何年も何年もかけて、教会に降り注ぐ自然光なども計算に入れて教会のデザインや、壁画を創っていきます。

その教会に訪れる人々は、今もなお、巨匠たちの作った教会に感動を覚えています。

これは利己的なものではないはず?

では、表現をする段階で、利己的なものとそうでないものの違いはなんだろう?

そして、第三者がいなくても芸術は成り立つのだろうか?

芸術ってなに?

しばしそういう疑問にぶちあたり、これは熟考しようと思いました。


そして朝の瞑想をするときに、この疑問に対しての答えかヒントをくださいとお願いしました。


すると、ある瞬間にぶわっと気付きました。

私はとにかく理屈ぬきに、単純に芸術が好きなんだと。

本も歌も音楽も踊りも絵も映画も演劇も、とにかく無条件にみんな大好きだ!と、気付いたのです。

そして、それらを観るだけではなく参加したいのだと。

それらのツールを使って表現がしたいのだと。

いいじゃないか、それで。
それが私なのだ。

と、そう思いました。
そうしたら、とてつもなくラクになりました。

私は私でいい。

私は私の楽しいこと、好きなことを楽しめばいい。

だって、それが「私」なのだから。

そして多分、その大好きなツールを使って、誰かと一緒にそれを楽しんだり、ライブで神と繋がった言葉にできないその瞬間を共有したり、それがたまらなく好きなのだと思いました。


では、利己的とそうでないものの違いは?

なんとなくもやもやとわかってきつつも、数人に聞いてみました。

芸術って、それを観る人がいなくても成り立つと思う?と。

ちょっと長くなってしまったので、続きは次回に書きますね~。
読んでくれてありがとう~。

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テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体
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まゆりん

Author:まゆりん
乳がんになり、代替療法を選択したことからさまざまなヒーリングを体験。その結果、人生が癒され幸せになりました。その体験を通して、いただいた気づきや叡智を分かち合い、幸せへの道を分かち合います。

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