宇宙(そら)からの贈り物

人生が癒され幸せになりました。その体験を通して、いただいた気づきや叡智を分かち合い、幸せへの道を分かち合います。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

    posted at --:-- | スポンサー広告
今日は死生観について、私の今感じていることを書きます。
ちょっと重いなあと感じる方は飛ばしてくださいね。

前回まで、ほわーがんサポートネットワークの講演について書きました。
そして、そこで講演をしてくれた、余命を宣告された坪井さんの、世間一般的には型破りと思われる考え方について書きました。

主催の萩原先生はこういいます。
がんが治った人が勝ち組、治らずに亡くなった人は負け組という風潮があるけれど、坪井さんのように「命は、生まれたときと同じようにただ朽ちていくだけ」「別に治らなくてもいい」「おしゃれしたいから、抗がん剤はやらないの」という考え方の人がいてもいいじゃないか。
人それぞれが、それぞれの死生観を持っていて、それを尊重すればいいのではないか、と。


私もその考えに賛成なのです。
(私も最初の頃は、治った人は勝ち組、亡くなった人は負け組みみたいな感覚をどこか持っていましたが)

無理にがんばってがんを完全に治そうとしなくても、がんと共存して長年生きている人もいるし、そのうちに寿命で別のことが原因で亡くなるとかいうこともありますしね。


私も病気になってから、治るためにいろいろなことをやってきました。
その中には、完璧主義と、常にがんばってきた自分を止めて、らく~に、ゆる~く、あるがままに生きようという取り組みも入っていました。

だから、自分なりに「あ、今がんばってしまっていた」と思うと、がんばっていた事柄を手放して、力を抜く努力もしてきたつもりでした。

でも、「治るためにがんばる」ということだけは別問題でした。
だって、がんばらなかったら死んじゃう。

無意識のうちにそう思っていたんですね。

だから、病気を治すこと以外のことはがんばらないように意識したけれど、「治すことを手放す」ことは考えたこともなかったのです。

いや、そのことでがんばっているということにすら気付いていなかったのですね。

ところが、ほんのつい最近、なにかの拍子に病気を治すことに対して、「もう、がんばるのいやだ・・・」という言葉が口をついて出て、自分で自分に驚いてしまいました。

ふと口をついて出るほど、がんばってたんだ・・・。

でも、がんばるのやめたら死んじゃわない?


それからだったと思います。
大真面目に、死と向き合ったんですね。

以前から死と向き合うことを意識していましたが、かなり具体的に、緩和ケアや痛みのケアを調べました。

それから、これはそういうことを意図したわけではなかったのですが、緩和ケアでアロマをやらせてもらう機会はないのだろうか?(こちらが施術させてもらう側ね)と思い、アロマの緩和ケアセミナーにも行き、がんの人への在宅介護のしくみやコツなども知識として入ってきて、なんだか、「これならもう大丈夫」と思えたんですね。

自分にとって一番の恐怖は、痛みにのたうちまわって死ぬこと。

昔は確かに大変だったらしいです。モルヒネの分量も医師がわかってなくて。少ししか使わずに、まったくきかなかったり、逆に大量使いすぎて、意識が混濁してしまったり。

今でも緩和ケアの知識が豊富なドクターはそう多くないらしいですが、私にですらこうした情報が入ってきているのですから昔よりは良くなっていると思うし、万が一ドクターがそういう知識の少ない人で、モルヒネや他の痛みケアがなされない場合は、詳しいドクターを探すとかいうこともできる。

介護制度をうまく使うコツなども教えてもらい、周囲に迷惑をかけなくても大丈夫かも、とか。

とにかく現実的なことをしっかりみつめたんです。

そうしたら、痛みのケアが最近はかなり充実しているってこともありますが、死があまり怖くなくなってきたのです。

もちろんそれだけでなく、いろいろ内面と向き合う作業もしてきたせいか、
死は、意識が遠のいて、眠るときのようにすっと移行するという説を信じられるようになったというか。

もちろん本当はどうなのかわかりませんし、感情的にはもちろんいろいろあると思いますが。


だから、私の場合はそう考えられるまでに7年半もかかっちゃいましたが、坪井さんのいう、「生まれるときと同じように、ただ朽ちていくだけ」という感覚もなんとなくわかる気がするし、そんなに辛いことでないと思うと、別に死なないように必死でのたうちまわる必要もないのかもね・・・などと思えるようになったわけで。


そして、そうなると不思議なことに、病気や死をみつめる割合より、生きている今何をしようかとワクワクして考える割合のほうが多くなったのです。

怖いものがなくなったからでしょうかね。


萩原先生のおっしゃるように、死んだ人は負け組みとかじゃなくて、それぞれの死生観で人生を決めたらいいと、本当に思います。

がんの患者会などに入ると、食事療法が思うように続けられない自分に罪悪感を感じてしまうだろうなとか、どうも体育会系の感じで気後れしてしまうな。

でも、自分を励ますためにも、そういうところに入ったほうがいいのではないだろうか。

でも、なぜか気が重いな・・・。

そう思っていた理由が、萩原先生の一言でわかったような気がして。
萩原先生の言葉に、私のハートの深いところがほどけて涙がでました。


主人にもよく言われますが、私は本当に楽しいことのほうにばかりパタパタ行ってしまって、がんばる、とか、根気強く続ける、とかが苦手。(好きなことは別ですけれど)

そして、病気になるまでの人生はずっとその苦手なことを歯を食いしばってやってきたわけです。

そのくせを知らず知らずのうちにやってきたけれど、やっと深いところがリラックスしはじめた気がします。

死をしっかりみつめると、生がみえてくる、という感じなのでしょうか。

そして、どこか話題に「死」というものが出てくるとネガティブなイメージを持ってしまいがちですが、もっと死生観がオープンに語られるようになるといいなと思う今日この頃です。

人気ブログランキングへ
←ランキングに参加しています。気が向いたらポチっと押してね




スポンサーサイト

テーマ:幸せに生きる - ジャンル:心と身体
    posted at 15:28 | 日記 | TB(0) | CM(1)

この記事に対するコメント

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2011/01/16 00:47】 | # [ 編集 ]


この記事に対するコメントの投稿
















この記事に対するトラックバック

プロフィール

まゆりん

Author:まゆりん
乳がんになり、代替療法を選択したことからさまざまなヒーリングを体験。その結果、人生が癒され幸せになりました。その体験を通して、いただいた気づきや叡智を分かち合い、幸せへの道を分かち合います。

最近の記事
最近のコメント
カテゴリー
月別アーカイブ
最近のトラックバック
フリーエリア

FC2カウンター
ブロとも申請フォーム
ブログ内検索

RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。