宇宙(そら)からの贈り物

人生が癒され幸せになりました。その体験を通して、いただいた気づきや叡智を分かち合い、幸せへの道を分かち合います。

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※ これは4年前の記録に今の考えを足したものです。


2004年5月27日の朝、福井の先生のもとに一緒に行った、悪性リンパ腫のGくんのお母さんから電話がありました。

福井の先生のもとに、このまま通うかどうか迷っていると。

いろいろ話していて、代替療法を選択したがゆえにぶつかる、共通の悩みを持っていることを感じました。

それはどういうことかというと。


がんという暗い道の迷路に入ったとします。

ここで西洋医学の先生に診てもらう人は、先生というガイドさんがいるわけです。
これは気持ち的にとても楽ですね。なにしろ初めての経験だらけで、知識もないのだから。
ほとんどの方はその選択をします。


代替療法選択者はそのガイドがいない状態で、迷路をスタートするわけです。
すべて自分で調べて感じて、選択しなければならない。

もちろんヒーラーさんがサポートしてくれる場合がありますが、彼らはもちろん「自分が治すから大丈夫。ついてきなさい」などといいません。(言ったら要注意かも)

ヒーラーさんは言ってみれば、患者が歩く暗い道の、足元を照らす光を見出す手伝いをしたり、患者がなるべく元気に迷路を歩き続けるために、心身と精神の調整をしてくれたり、励ましてくれたり。不安なとき、共にいて祈ってくれたり。


そういう感じなので、自分自身がすべて決めなくてはならない。

そして、例えば右に行くか左に行くか選択を迫られて、右に行くことを決める。
ちゃんと完治というゴールにたどりつこうと固く心に決めて歩き始める。

でも、歩いている最中はまさに暗中模索。
手探りで、いくつもに枝分かれしている道を、何の保障もないけれど、とりあえずゴールに繋がっていてくれれば・・・と歩いていく。

その繰り返し。

その途中では、「そっちに行くなんて、信じられない」だとか、「変人」だとか、「なにもかもお医者さんにまかせればいいのに」だとか、「こっちにくれば治るのに」だとかいろいろなささやきが聞こえてくる。その声は、時にとても親しい間柄から聞こえてきたりする。

こっちにくれば治るという声を聞いて、信じて、行ってみたら行き止まりや、がけっぷちだということも多々ある。

疑えばきりがない。

でも、どれもこれも正直確信があるわけではない。
(ここで何かの確信にたどりつき、この道を行こう!と決めた人は、もうゴールの光が見えていると思います)

いつまで続くかわからない迷路の闇の中で途方にくれることもしばしばです。

こんなことなら、医師というガイドにお願いしたほうがよかったんじゃないんだろうか?

何度となく、私も思いました。

悪性リンパ腫のG君のお母さんも同じようなところにいました。
このままでいいのか?
本当によくなっているのか?
医師や薬にお願いしたほうが、苦しみが少なくてすむのではないか?


永遠に続くかに思えるこの迷路を、元の道へ引き返すは並大抵のことではありません。
そこには時間と、患者の体力と、かなりの額のお金とが費やされているから。


今代替療法で頑張っていて、この暗中模索の中にいる方も少なからずいらっしゃると思います。
4年前の私はまさに、この中でしんどい思いをしていました。


でも。

この迷路のやっかいなところでもあり、希望でもあるのは、
ゴールへたどりつく道はたくさんある、ということ。

一方、行き止まりやがけっぷちへ続く道もたくさんあり、場合によっては引き返すことが不可能な道もたくさんあるということ。

ゴールに見えて、光の外にでたらまた新しい迷路が待っていた(再発)ということも多々あるわけです。

たとえば、西洋医学の先生にすべてお願いするとして、痛くても辛くてもなんでも信じてついてきたら、いきどまり。もう、引き返す体力も気力もありません、なんてことも、実際あるわけです。

本当は先生も経験的勘から歩いていっているだけで、その人が100%確実にゴールへいける確信があるかというと、わからない。
前はこちらの方に進んで、ゴールへの光を見たこともあったから、こちらに行ってみましょうというわけです。


それに、先生は実は懐中電灯を持っていないのですが、慣れているからどんどん進む。

時には患者が道につまずいても、へとへとでも気づかない先生もいます。

患者がこちらの道ではないのかなあと感じていても、聞く耳を持たない場合も多い。

「あの・・・。私にとってはこちらの方がいい気がします」などと言おうものなら、
怒り出す先生もいます。

「信じられないなら、私のもとにこなくていい。勝手にやりなさい」

ある程度進んだのに、道の途中でそういわれて、「はい、そうですか」と自分で歩き始める人はなかなかいないでしょう。
(そんな人も、ゴールへの最短距離を歩き始めた可能性が大だと私は思います)


もちろんすべての先生がそうではないし、先生の立場になって考えてみると、
人の命。神様でもないのに確かに助ける道など、示せるわけがないとしても、医師である以上、患者さんに不安を抱かせることなく、なんとか自分がガイドになってゴールへたどり着いて欲しい。
そういう想いでしょうし、迷路の入り口には、そんな自分を待っている人が長蛇の列をなしている。
「先生、助けてください」と叫んでいる。

そりゃあ急ぎますし、がんという病気は進行していくから、無限に時間があるわけではない。だから、とにかく自分がこうと思う方向へ進むしかないでしょう。
患者さんが多少つまづいても、大きな支障がなければ進むしかないでしょう。

それに、患者の中にも、それはどうなんだろうって人いると思います。

先生というガイドがいるから、患者はすっかり安心してまかせっきりになってしまったり。
「先生助けてください」っていうのも、どうなんでしょう。(と、今の私は思います。共に、とか、サポートしてもらうというスタンスならいいのですが・・・)


今の私は、この迷路の中でたくさんの体験をしたので、いろいろ見えなかったところが見えてきています。


本当は、医師にお願いしようとも、薬を使おうとも、代替療法や治療家のもとにいこうとも、方法なんてなんでもいいんです。

自分の人生に責任を持つ、ということ。
自分の意志で選択する、ということ。
自分の命、自分の人生を人まかせにしないということ。
環境のせいにしないということ。
これさえ忘れなければ。


この迷路に、代替療法で挑んだ私でしたが、そのおかげで自分の人生に、命に責任を持つということを学んだし、そこからしか本当の幸せはないのだということも学んだ。
万が一、再度迷路に行くことになったとしても、自分で歩んできたから、どうすればいいのか、何が大事なのかわかっている。

だから、あくまでも「私にとっては」この選択でよかったと思うし、それしか私の魂が望んでいたものではなかったのだろう、ということもわかります。
でも、他の人が私と同じ選択でいいとは思いません。
自分の道を自分で見つけるしか、癒される道はない。

今「癒される」という言葉を使いましたが、「完治」も実は問題ではない。
癒されて、光のもとに進めばそれで大成功なんです。

もっというと、失敗はない上での大成功なんですけどね。


この迷路、入ったときはがん患者の迷路だと思っていましたが、ゴールの数は、がん患者の数だけあるのかもしれないと思い始めた今は、人生そのものだったり、悟りへの道だったりに共通するものがあるなと思います。

ゴールの先にあるのは、単なる病気の「完治」ではなく、生きるも死ぬも超えたものなのかもしれません。

それから、瞑想や、宇宙や、神や、自分や・・・
万物とつながることが、暗い迷路の中の足元を照らす光になる。
これも間違いありません。

そして、その人なりのゴールへたどりつくための、本当のガイドは、自分自身とそれを超えた存在であることも間違いありません。

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テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体
    posted at 14:27 | 体験記 | TB(0) | CM(0)

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Author:まゆりん
乳がんになり、代替療法を選択したことからさまざまなヒーリングを体験。その結果、人生が癒され幸せになりました。その体験を通して、いただいた気づきや叡智を分かち合い、幸せへの道を分かち合います。

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